日本人だもの、何処にいても、どの国籍の人と接しても、
『礼』だけは、常に心がけたい。 特に西洋人の前で、「礼」をすると、目を見開かれることがある。 確かに、西洋の国では、「礼」は適切じゃないのかもしれない。 でも、自分の感謝の気持ちを表すには、やっぱり「礼」しかない。 こちらに来てから、幾度も感じたこと。 国が違っても、宗教が違っても、言葉が違っても、年齢が違っても、 同じ人間、心無いことをすれば相手に不快感を与えるし 心を込めれば、必ず笑顔が返ってくる。 お辞儀の姿勢は、美しい。 今ではすっかりお世話になっている大家さん家族。 何かしてもらった時には、いつもお辞儀と礼をしているのだけれど 昨日、Graziaさんも私にお辞儀をしてくれた。 とても嬉しかった。 「礼」という言葉、大学受験の浪人生のとき 中国史を勉強していた私に、孔子の「礼」の定義が心に響いたのを 今でもよく覚えています。 「礼」は、単に感謝の意、動作、礼儀の他に、様々な意味が含まれていることを このとき知りました。 ―「礼」という言葉は、今日では礼儀作法を指すことが一般的であるが、古代中国では極めて大きな意味内容を含んでいた。当然、礼儀作法といった枝葉末節のことも含まれるが、より広い意味を持つ。人間の社会的な行動が定着し型をつくって様式化し、それが「しきたり」「習俗」として守られるもの全般を指す。広く人の世の秩序を保たせるもの全てを礼と総称したのである。最も広い意味では、社会の伝承のすべて、文化全体を指すこともある 孔子は、儀礼を行うにあたって、形式や外見よりも心がこもっていることが大切だと考えていたことが論語からもうかがえる。礼が正しく行われるには、なによりもまず心中に愛情とか敬意とかがあって、それが形となって表現されるのだと考えていたようである。 ただ、孔子は、けっして表現される形をおろそかにしてもよいと考えていたわけではない。礼は心の中の思いが適切に形となって表現されるものであり、心の伴わない外形だけの虚礼には意味がないといっているのである―抜粋
by dolcissimokurobe
| 2007-12-21 19:49
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