カテゴリ:Il cuore( 31 )

8年間

私はどこか変わったんだろうか。
本質的にはどこも変わっていない。
むしろ、子供のときのように、自分の心に素直になれるようになっただけ。
でも、1年ぶりに会った親友に何だか気を遣わせてしまったかもしれない。

大学の卒業旅行で、初めてイタリアに恋をした場所、
フィレンツェへ8年ぶりに二人で足を延ばした。
ミケランジェロ広場の塀の上に腰をおろして、イタリアで一番好きな眺めを
目に焼き付けてると、もう8年前の自分ではないと気づく。
8年間という時間が、私をゆっくり変えていった。
8年後の自分もやっぱり今とは変わってるだろう。
でも、彼女との絆はずっと変わらない。これからもずっと一緒にいたい。
こうしていつかまたドゥオモのクーポラに一緒に上る日が来たらいいと思う。
きっと、フィレンツェの町は変わらずに待っていてくれる
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by dolcissimokurobe | 2008-09-20 17:54 | Il cuore

イタリアという国

先日、こちらでお友達になった女性が帰国した。
彼女に初めて会ったのは3ヶ月前。
まだ春の到来が待ち遠しいほど寒かった試験週間。

一緒に入ったBarで温かいカプチーノを飲みながら
向かい合いに座っていた彼女の瞳の中には
初めて来たイタリアという国への期待と不安の両方が少しずつ混ざっていて、
日本でコツコツ勉強してきたイタリア語のこと
タイで自立しようと頑張ってるお嬢さんのこと
3ヶ月のイタリア留学を応援してくれた旦那さんのこと
そんな日本での生活を「お母さん」としての柔らかい笑顔で包みながら話してくれた。

お互いが過ごした、この3ヶ月という時間。
年齢も、境遇も、過去も未来も、関心も、友達も違う私たちにとって
私たちも含めて全ての人に同じように与えられた「3ヶ月」という時間は
その過ごし方も、受けとめ方も、スピードも、発見したものも、
全ての人によって違う。

時間の早さも彩りも人の数だけ多様である
ここイタリアで、みんなが何かを見つけていく、
そして、忘れていたような、仕舞い込んでいて記憶の遠いところにあったようなこと、
あるいは、全く新しい記憶として、とても大切なことに気づいていく。
留学生活をしていると、そういう人の気持ちに次々出会って、そして別れて、また出会う。

帰国を控えた彼女と、今度は、この3ヶ月間について話しながら
ちょっぴりアルコール入りのグラスを昼間から傾けた。

全てを聞かないでも彼女の表情からは、この3ヶ月間が
いかに充実していたか、今いかにイタリアを近くに感じているかが見て取れる。

「日本にいて家族と生活することもとても幸せなこと。
毎日するべきことが沢山あって、家族のために頑張って、
そういうことにも、ちゃんと満足していた。
でも、今思うのは、私は自分で自分が死にそうだったということに気づいたの。
私が、ここイタリアで過ごしたのは、ほんの3ヶ月。
でも、お母さんとして、また妻として、ずっと長い時間を過ごしてきたのに
イタリアで過ごし始めた瞬間から、みるみる自分の心が20代の娘時代に
戻っていくのが分かったの。
自分の心は、何歳になっても自由にしてあげることが出来る、
いつだって、これからだって、心が自由になることは可能なんだと
イタリアでの生活が教えてくれたのよ。」

こんな彼女のキラキラした言葉も、私には見つけられないもの。
でも、彼女と出会えたことで、私はこうして聞かせてもらって
素敵な記憶として心に留めておくことが出来る。
こんな時、私はまたイタリアに「ありがとう」と言いたくなる。

「自由」は、自分の「個」を解き放ってあげることでもあるけれど
同時に「正義」と「責任」というものをもう一枚身に着けることでもあると思う。
好き放題出来ることが、「自由」なのではなくて
正義と責任を携えながら、生来の自分の情熱が向かうものに、
視界と心を開いて、いつだって隠さず考えず好きと言える「自由」向き合える「自由」
これが、私がイタリアで見つけたかった「自由」。

好きなものにちゃんと好きと言える国、イタリア。
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by dolcissimokurobe | 2008-06-26 20:48 | Il cuore

素敵な時間を過ごした証

大好きな大好きな友達、アンシンが中国へ帰国しました。

みんなでピクニックに行った日の帰り、
「明日みんなで駅まで見送りに行くから」という希望を
頑なに拒否していたアンシン。
「みんなに見送ってもらったら、もっともっと悲しくなるから」
その意見もごもっともなのだけど、やっぱり大好きな友達を見送りたい。
そんな押し問答をしている間から、目に涙が勝手に浮かんでくる。

中国人の真心と優しさを教えてくれたアンシン。
アメリカ人のラウラも、「アンシンは世界で一番おもいやりのある子」と
言っていたけど、心から同感。

翌日アンシンを見送るために、友人達が駅に集まって
一人ひとりがアンシンとハグして、涙のお別れ。
日本の友達とのお別れと違うのは、
外国の子との別れは、また会える日がいつになるか分からないということ。
5ヶ月前にも、こうして大好きな友達カタリーナを見送った。
こんなシーンを繰り返すうちに、きっとペルージャ駅は、
私の思い出の中で特別な場所になるんだろう。

とても寂しがっていた友人に
涙を浮かべて、アンシンに手を振りながら
「こんなに寂しくて、こんなに涙が出るのは、
これからお別れする人と自分が、
それだけ沢山、素敵な時間を一緒に過ごしてきたことの証だと思うよ。」と言った。

このイタリア留学の1年間ちょっと、凝縮された時間の中で
沢山の出会いと別れを繰り返して、宝石箱のように
大好きな友人達との思い出が積み重なっていくんだろうな。

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by dolcissimokurobe | 2008-04-07 20:01 | Il cuore

ピクニック

「暖かくなったら、みんなで湖にピクニックに行こう」

1月からみんなで話していた計画が、やっと実現。
正直、まだちょっと肌寒いけど、アンシンが帰国してしまうので急遽決行。

一人ひとりが作ったお弁当を持ち寄って、
トラズィメーノ湖のほとりに腰掛けて
お喋りしながら、お弁当をほおばって、子供の遊具で遊んだり
可愛い子供達をカメラで追いかけたり、ほとりでお昼寝したり。

この友達と、いつまでもこんな週末が過ごせたらいいのに。

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by dolcissimokurobe | 2008-04-07 19:41 | Il cuore

初雪

いつもの通り、早く目が覚めて木戸を開けたら、
何だかいつもより外がほの明るい。
ペルージャ、初雪です。

今年のクリスマスは、ホワイト・クリスマスになるかもしれない。

来週、クリスマスと年末年始の休暇を利用して、親友のあやちゃんと
スイス、北イタリアを一緒に旅行する予定です。
彼女に会うのは、1年ぶり。最後に会ったのは去年のクリスマス直前。
彼女がウィーンへ向けて出発する前に、東京で会って以来です。
「次に会うのは、ヨーロッパでだね。」と別れ際に言葉を交わしたのだけど
この言葉には、二人の過去も未来も、希望も期待も不安も、いろんな感情が
交錯していて、最後には言葉に詰まってしまったのを今でもよく覚えてます。
ヨーロッパで会うのは1年後だけれど、その前に乗り越えなければいけない
ものが幾つもあって、本当に念願のイタリアで滞在できるのか、
父をがっかりさせない形でヨーロッパ行きの許しをもらえるのか、
とても不安だったけれど、とにかく二人の念願の地ヨーロッパで
彼女に会いたかった。
だって、イタリア留学の夢の芽を植えてくれたのは彼女なんだもの。
3年前のクリスマス直前、ドイツを旅していた私は、
24日からドイツ国内の鉄道や宿泊所がクリスマスで完全ストップすると聞いて
慌ててオーストリアのウィーンに移動したのですが、
このおかげで、同じく一人旅していた彼女に会うことが出来ました。
初めて会ったときから不思議なくらい意気が合って、ウィーン滞在中、
二人でいろんな話をしました。この時に私のイタリア留学の夢は生まれたのです。

3年前偶然彼女に会ったのが12月23日。今年、再会するのも12月23日。
3年前は想像も出来なかった未来を生きているけれど
この3年間で起きた出来事は全て私の宝物。
今こうして念願のイタリアで生活していること。
家族への感謝の気持ちを強く感じさせられたこと。
初雪の降る朝、ベッドで日記を書きながら、
この3年間の日々を反芻して改めて愛おしく思いました。
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by dolcissimokurobe | 2007-12-15 10:34 | Il cuore

くもり

しばらく日記を更新してませんでした。
何だかとっても疲れていて。理由は説明出来ないのですが、
いや、自分でもその理由を分かってるような、分かっていないような・・・。
イタリアでの生活に疲れたわけでもなく、
かと言って日本に帰りたいと言うわけでもなく。
何でしょう。私はたまに自分の正体が分からなくなることがあるんです。
何がしたいのか、どうしてここへ来たのか、自分の希望や意思が曇って
視界が閉じてしまうことが、時々あります。
「自分」を思うように表現できない現実へのもどかしさからでしょうか。

こんな時は何かに没頭するのがいいと思って
スケッチブックを1冊買いました。


朝靄のペルージャ
霧が出る朝、部屋のバルコニーで出ると
ペルージャの街が、霧の湖に飲み込まれたよう。
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by dolcissimokurobe | 2007-11-29 19:08 | Il cuore

日本を学ぶ

前にも日記でちらりと書きましたが、外国にいるときほど、日本の美しさ素晴らしさを
痛感する時はありません。
違う対象物を比較したとき、違う環境に身を置いたとき、それぞれの美点も、
またそうでない点も、より明確に分かるものです。生活も、文化も、人も、絵画も。

さてさて、今こうして日記を書いていますが、明日の宿題が脇に控えています。
明日の文化概観の授業で、現代日本の成立について発表しなくてはいけないので、
今日は大学が終わると、ネットポイントに直行してWikipediaで日本の歴史の情報集め。
大量にプリントアウトした資料を、今から目を通してイタリア語でまとめなくては。Wikipediaで日本の歴史を調べているあたり、本当に恥ずかしいことですが
現代社会が大の苦手だった私は、発表できるほどの知識(常識ですね・・・)がない。
前回は、『日本における宗教的、精神的に影響を与えた、または与えている
場所、人物、文化』について発表しなくてはならなかったときも、ネットフル活用。
授業ではもちろんイタリアの歴史・文化概観が中心ですが、大好きな先生Maricaは
時々こうして生徒達に自国の文化について発表させてくれます。
幸か不幸か、クラスには、日本人は私を含めて2人のみ。
出しゃばりの私は、へたくそなイタリア語でも発言好き。
日本人として恥ずかしくないよう、他の国の生徒にも興味を持ってもらえるような
発表をしたいとは思ってます。

外国にいると、当然のことですが、相手は私を一女性としてだけでなく、
「日本人」として見てきます。前にも書きましたが、語学の上達に大切なのは
自分の考えやアイデンティティを伝えようとする熱意、相手と自分の相違を
理解しようとする熱意だと思っています。
日本人以上に、しっかりとした考えと個性を持っている外国の学生。
言葉の表現力の低さだけでなく、自分自身が己の考えやアイデンティティを
持っていなければ、それを伝えようとしなければ、ただ授業でうつむいているだけ
になってしまいます。そんな風にはなりたくない。
「日本人」としてイタリアをどう見つめるか、相手に「日本」をどう見てもらうか。
そのためには、「日本」について、今、もう一度学び直さなければ。
受験のためではなく、外国で「日本」を伝えるためにね♪
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by dolcissimokurobe | 2007-11-17 18:32 | Il cuore

温かい中華料理

引越しの時に全ての荷物を運びきることが出来なかったので、
まだ前の家に残っているヤコブの部屋に私の荷物を置かせてもらっていました。
その荷物を今日学校帰りに取りに行くため、一日振りに前の家へ。
たった一日しか経っていないのに、一ヶ月通った道が懐かしくて。
数日前までは「大学まで遠い遠い」って文句言ってたのに、
今日は公園を横切る長い坂道が愛しくて仕方ありません。
カタリーナと一緒に何度も通った道。
家のインターホンを鳴らすと、ヤコブが出てきて、さっそく「今度の家はどう?」と。
「うーん。いろいろあるよ。」私が新しい家の規則を話し始めると、
彼も顔をしかめて「そりゃあちょっと辛いね」って。それから、
「これからだって、静香がこの家に来たくなったときに、いつでも来ていいんだからね。」
あんなにからかったのに、なんて優しいの。ありがとう、ヤコブ。

「おなか空いてない?何か作るから食べていきなよ。」
台所に入ると、彼はいつものように手際よくフライパンを振って、
オリジナル中華料理を作り始めました。
「僕のパソコンでもいじっててよ。今ネット繋がってるから」と言ってくれたんだけど
手持ち無沙汰だし、私も手伝うことに。
キッチンに一緒に立って、いつものように学校の話や、中国や日本の話をしながら
私は下準備のお手伝い。
いつもは一品しか作らないのに、冷蔵庫からあれこれ出して3品も作ってくれている。
白いご飯ももうすぐ炊きあがる。
昨日あれだけ泣いたのに、また涙が眼球の後ろあたりまで上ってきていました。
「トマト何個要るの?」と聞こうとして、言葉に詰まってしまった。
恋愛ドラマにありそうなこのシチュエーション。お決まりのように女性が泣く。
はい、はい、泣きましたよ。ぼろぼろと。
「寂しいから泣いてるんじゃないの。こんなに親切にしてくれて嬉しかったから。」
あらら、これまた少女漫画に出てきそうなセリフ。
キッチンペーパーを目に当ててボロボロ泣いてたら、ヤコブが肩をポンポンと叩いて
3品の料理が出来上がりました。
弟みたいに可愛いヤコブと、ほっとするアジアの味付けの料理と白米。
楽しい思い出が残るこの家に帰ってきて、心からほっとしました。
外国で生活を始めて一ヶ月。こんな風にほっと出来る場所があって嬉しいな。

出発する前も、到着してからも、いろんな人から親切にしてもらったこの一ヶ月。
この留学で一番多く知ることになるのが、友人の優しさとありがたさかもしれません。
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by dolcissimokurobe | 2007-11-02 21:09 | Il cuore

イタリア留学にあたって

「そもそも、なんでイタリアなの?」とたまに聞かれることがある。
なんでって、話すと長くなるんだけど・・・。
一言で言えば「好きになっちゃった」これだけである。

初めてのデートで、待ち合わせに現れた彼が、想像していた以上にハンサムで
コーヒ飲みながら話し始めたら、ところどころひっかかるところもあるんだけど
生き方がかっこいいというか、意外に熱いハートを持っていて。
家に帰ってからも、頭の中は彼のことばかり・・・。こんな感じ。

しかも、イタリア君をもっと知りたい!もっと仲良くなりたい!と
彼の言葉を勉強し始めたら、彼を取り巻く友人や生まれ育った環境や
その人生、その美しさを維持する努力に触れて、ますます好きになっちゃった。
美しくて、柔軟で、人間味に溢れてて、芸術を愛して、多才で、そして頑固でもある
イタリア君って本当に味わい深いのね♪

もういい加減にしろって?すみません。

今まで訪れた十数カ国のうち、イタリア君ほど何度も会いたくなる国は他にない。
何度訪れても満足することがない。
ここまで惹きつけるイタリア君の魅力とは何なのか?!
つまり、今回の留学は(たった一年だけどもさ)、
「私だけのイタリア君の魅力を探る!」が目的でもあるわけだ。

付き合ってみたら、鼻につくことがもっともっと出来てきて嫌いになるか、
はたまた、その魅力の奥深さにさらにハマってメロメロになるか・・・。
行ってみなきゃ分からない!

窓ガラス越しなんていや!いいところだけ、さささっと見るのもいや!
イタリア君のかっこいい外見だけで恋するなんて私らしくない。
イタリア君が少しでも本当の笑顔を私に見せてくれるように
そのために言葉を勉強したのだもの。

1年3ヶ月という短い期間だけど、一日一日を大切にしよう。
イタリア君と、自分らしいお付き合いが出来たらいいな。


(イタリアを好きになった理由は、年始に「父への手紙」で
長々と超真面目に書いたので、今回はちょっとふざけました)
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by dolcissimokurobe | 2007-09-21 00:27 | Il cuore

しずかの独り言

先日いただいた「Les Fre`res」CDのお礼にと、関口知宏さんの絵日記を持って
CDをプレゼントしてくれた女性を訪ねました。
年齢は離れていても、その女性は「世代を超えて通じるものがある」と
私におっしゃってくださいました。
そして、帰りにまたまた「Les Fre`res」のCDをいただいちゃいました。

ピアノだけの演奏なのに、この幅広く奥深い表現力は何なんでしょう。
まるで他の楽器のパートを、1台のピアノで全て代用出来てしまうような
そんな気さえしてくる演奏です。
まぁ、音楽に関して全然知識も教養もない私がいうのもおこがましいのですけど。

その女性、曰く、
「どこまでも明るい曲調なんだけど、時々たまらなく寂しく感じる音がある」そうです。
「彼らの音楽には、一生懸命努力してきた時代、不遇の時代が感じられる時がある」
そして、「努力する人は心から応援したい」とも、おっしゃっていました。

絵や音楽って面白いですよね。
見る人にとっての、抱えてるものや背負ってきたもの、一番大切にしているもの
愛しいものや悲しいと感じるもの、考え方や生き方が、
目の前にある絵や音楽に投影される時があるんだもの。
まるで、ある一人間の姿や心、今までの歴史の映し鏡のように。
だから、同じものを観たり、聴いたりしても、感じる人間によって、目の前の芸術が
語りかけてくるものが違ってくる。
私の隣にいる人は「明るい絵」だと言い、私には「寂しく悲しく感じる色だ」とかね。

私は「絵を好きになるのは、人を好きになるのと似てる」と思ってます。
絵や美術の知識がないせいもあるけれど、世間的に評価されていても
何も感じない絵も沢山あります。
(もちろん往々にしてその絵画のバックグラウンドを知らないから
という理由がほとんどですが)
恐らくその絵が云わんとしていることは、私にとってさして重要じゃないんでしょうね。

ところが、目の前の芸術が強烈にメッセージを伝えてくる時があります。
絵だけでなく、文章や、言葉や、写真や音楽、ヒトの心が表現されたものなら何でも。
時代や性別、境遇が違っていても、何か一つの点が自分のどこかの点と交わっていて
その接点の部分から、ドクドクと脈のように、流れ込んでくるわけです。

芸術は人によってその定義は違ってくるもので、
「癒し」「快楽」「憧れ」「恍惚」「虚栄」「共有」など等・・・。
私にとっては何でしょうか。恐らく「教義」「意義」的な要素も含んでるような気がします。
私にとって「こうありたい」という何かを持っている人間の作り出した芸術に
感動することが多いようです。
そもそも、自分の心が疼き出して表に噴出すべく、
無から自分の心の分身を形にして作り出す。その術を日々の鍛錬の中で培う努力。
これがあるだけでも十分尊敬せずにはいられないのですが
時代や境遇によっては全く評価されない、それどころか中傷すら受ける場合がある中で
自分の魂を表現しつづけるって、本当に強靭な精神と信念、
自分を信じ抜ける能力・技術がなければ成し得ないことだと思うんですよね。
やっぱりこういう部分に人は感動するんじゃないかしら。

・・・おっとととと、ちょっと堅くなってきましたが、そういうものを作り出す人が
もっと大切にしている部分があって、多分それは「芸術を楽しんでいる」ということ。
一番は、これですかね。作り出す人も見る人も、楽しむことが大切。
ホイジンガのホモ・ルーデンス「遊ぶ人」の定義にも感動しましたが
生活をより良くする「遊び」や「楽しみ」が形になったのが「芸術」と言っても
いいかもしれません。
何十世紀も時代を経てまでも、時間も空間も文化も宗教を超えても
人から守られ、引き継がれ、心を癒して、感動させるものが
「芸術」以上にあるでしょうか。

最近、親友のあやちゃんと話していたこと。
あやちゃんの恩師の言葉がそれはそれは素敵で。
「本当に心から出たものは、必ず人の心に届く」
「心がなければ無味だけれど、技術がなければ無力だ」
あやちゃんが恩師からもらった言葉だけれど、
この言葉は、私も一生心に留めておきたいですね。

たくさんの素晴らしい人とお付き合いが出来れば、心が養われるように
(素敵な殿方とのお付き合いも含めて(笑))
たくさんの素晴らしい芸術とも対話しようと努力していれば
これまた自分の心と、美しいものを見る目が養われると思ってます。


しっかし、なげー。




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by dolcissimokurobe | 2007-09-05 14:31 | Il cuore