イタリアという国

先日、こちらでお友達になった女性が帰国した。
彼女に初めて会ったのは3ヶ月前。
まだ春の到来が待ち遠しいほど寒かった試験週間。

一緒に入ったBarで温かいカプチーノを飲みながら
向かい合いに座っていた彼女の瞳の中には
初めて来たイタリアという国への期待と不安の両方が少しずつ混ざっていて、
日本でコツコツ勉強してきたイタリア語のこと
タイで自立しようと頑張ってるお嬢さんのこと
3ヶ月のイタリア留学を応援してくれた旦那さんのこと
そんな日本での生活を「お母さん」としての柔らかい笑顔で包みながら話してくれた。

お互いが過ごした、この3ヶ月という時間。
年齢も、境遇も、過去も未来も、関心も、友達も違う私たちにとって
私たちも含めて全ての人に同じように与えられた「3ヶ月」という時間は
その過ごし方も、受けとめ方も、スピードも、発見したものも、
全ての人によって違う。

時間の早さも彩りも人の数だけ多様である
ここイタリアで、みんなが何かを見つけていく、
そして、忘れていたような、仕舞い込んでいて記憶の遠いところにあったようなこと、
あるいは、全く新しい記憶として、とても大切なことに気づいていく。
留学生活をしていると、そういう人の気持ちに次々出会って、そして別れて、また出会う。

帰国を控えた彼女と、今度は、この3ヶ月間について話しながら
ちょっぴりアルコール入りのグラスを昼間から傾けた。

全てを聞かないでも彼女の表情からは、この3ヶ月間が
いかに充実していたか、今いかにイタリアを近くに感じているかが見て取れる。

「日本にいて家族と生活することもとても幸せなこと。
毎日するべきことが沢山あって、家族のために頑張って、
そういうことにも、ちゃんと満足していた。
でも、今思うのは、私は自分で自分が死にそうだったということに気づいたの。
私が、ここイタリアで過ごしたのは、ほんの3ヶ月。
でも、お母さんとして、また妻として、ずっと長い時間を過ごしてきたのに
イタリアで過ごし始めた瞬間から、みるみる自分の心が20代の娘時代に
戻っていくのが分かったの。
自分の心は、何歳になっても自由にしてあげることが出来る、
いつだって、これからだって、心が自由になることは可能なんだと
イタリアでの生活が教えてくれたのよ。」

こんな彼女のキラキラした言葉も、私には見つけられないもの。
でも、彼女と出会えたことで、私はこうして聞かせてもらって
素敵な記憶として心に留めておくことが出来る。
こんな時、私はまたイタリアに「ありがとう」と言いたくなる。

「自由」は、自分の「個」を解き放ってあげることでもあるけれど
同時に「正義」と「責任」というものをもう一枚身に着けることでもあると思う。
好き放題出来ることが、「自由」なのではなくて
正義と責任を携えながら、生来の自分の情熱が向かうものに、
視界と心を開いて、いつだって隠さず考えず好きと言える「自由」向き合える「自由」
これが、私がイタリアで見つけたかった「自由」。

好きなものにちゃんと好きと言える国、イタリア。
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by dolcissimokurobe | 2008-06-26 20:48 | Il cuore
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