Roberto・Benigniの「神曲」解説

授業でMarica先生が、「今夜、21時からBenigniによるダンテ「神曲」の解説
番組があるわよ。興味のある人は観てみてね。」と告知してくれていたので、
水曜の夜は友人と映画を観た後、家へ飛んで帰りました。
日本語訳で「地獄篇」だけかじったけど、本文読むよりも訳注読む方にてこずって
「ライフワークとしてゆっくり読めばいいや」とあっさり途中で挫折しました。
イタリア文学と言ったら、まず一番初めに名前があがる、
Dante・Alighieri の『Divina Commedeia 神曲』。
イタリアでは、必ずみんなが学校の古典でダンテの神曲を学ぶそうです。
言葉の影に哲学や宗教が複雑に絡み合っていて、イタリア人にだって理解するのは
かなり難しいようです。
文化概観担当のMaricaは
「もちろん現在話されているイタリア語とは大分違うけれど、
ここからイタリア語が生まれたのよ。これまでラテン語が話されていたの。」
と、言っていました。

主人公の詩人ダンテは、古代ローマの詩人ヴェルギリウスの案内をともなって
地獄の9圏を巡り、煉獄では山頂を目指し次第に罪を清められ、永遠の心の恋人
ベアトリーチェに迎えられて天国に昇天。その後も旅を続け、最終的には至高天に
達するというするというお話で、地獄篇、煉獄篇、天国篇がそれぞれ34歌、33歌、
33歌の合計100歌から構成されています。
道すがら、古代ギリシャ・古代ローマの詩人や哲学者、政治家、聖人、
さらにはギリシャ神話に出てくる英雄や怪物に出会っていくのだけれど、
この数が半端じゃない。古典文献の引用も無数で、
これらに関する訳注を読むのが一苦労なわけですよ。
もちろん、この厄介な訳注がなければ、全く意味が分からないんですけどね。

日本の代表的な古典と言えば、紫式部の「源氏物語」でしょうか。
源氏物語は、宗教や哲学が絡んでるわけではなく、当時の宮廷人の心の機微や慣習を
古典の風雅な言葉の中で味わうもので、文学意義上では全く違う分野に分類される
とは思いますが。
途方もなく長く、味わうべき言葉が無数の古典を完璧に頭の中に記憶し解説するには
どれだけの知識と深い教養が必要でしょうか。私には想像も尽きません。

Benigniによる「神曲」の解説はなんと3時間に及びました。
途中、何度も額の汗を拭いながら、一度も座ることなく、喉を潤すこともなく、
一息つくこともなく、彼独特の超高速トスカーナ弁で、コミカルに、
情熱を持って、観客に語ってました。
必死に聴き取ろうとテレビにかじりついて、彼の言葉の魔法に掛かりたかったのですが、
残念ながら私にはさっぱり。こんなに悔しいことはありません。
Benigniの映画について過去2回日記を書いてるので同じことを言いますが、
彼はいつも似たような主人公を演じながら、一貫して描いているのは、
Benigniが持つ男性像の美学。私はすっかりこれにやられてしまいました。
劇的な展開や演出ではなく、卓越した言葉の表現のセンスが散りばめられた
脚本によってこの美学が描写されるから、何度観てもBenigniの映画は面白いんです。
重い問題や暗い過去の歴史を取り上げながらも、人の喜びや人生と愛の美を
宝石のように輝かせて、観客を笑顔で包んでしまう。人を中傷したり、汚い言葉で
人を笑わすのは「芸」とは呼べません。人生の真の喜びや美を表現しながら
他人から幸福の笑顔を引き出すには、絶対的なインテリジェンスが必要で、
彼の言葉の魔法こそ「芸」「芸術」と言えるものだと私は思います。

きっと、Benigniによるダンテ「神曲」の解説でも、当然のことながら
彼の宝石のような言葉が無数に輝いていたでしょう。

翌日、Maricaに
「3時間もテレビにかじりついても、ほとんど理解できませんでした(涙)
いつか彼のダンテ「神曲」の解説を理解できるようになるなら、何年掛かっても
イタリア語を勉強し続けたいと思ったくらいです。彼のダンテ「神曲」への
情熱を感じ取りたいです。」と言ったらMaricaもにっこり。
「彼は間違いなく世紀に一人出るか出ないかの天才だと私も思ってるわ。
再放送されたら「神曲」朗読の部分を録画して、授業で紹介するわね。」と。

Benigniの高速トスカーナ弁の魔法に完全に掛かる日を夢見て、
日進月歩イタリア語の勉強の弛まぬ努力が必要なわけですね・・・。
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by dolcissimokurobe | 2007-12-01 19:28 | La scuola
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