しずかの独り言

先日いただいた「Les Fre`res」CDのお礼にと、関口知宏さんの絵日記を持って
CDをプレゼントしてくれた女性を訪ねました。
年齢は離れていても、その女性は「世代を超えて通じるものがある」と
私におっしゃってくださいました。
そして、帰りにまたまた「Les Fre`res」のCDをいただいちゃいました。

ピアノだけの演奏なのに、この幅広く奥深い表現力は何なんでしょう。
まるで他の楽器のパートを、1台のピアノで全て代用出来てしまうような
そんな気さえしてくる演奏です。
まぁ、音楽に関して全然知識も教養もない私がいうのもおこがましいのですけど。

その女性、曰く、
「どこまでも明るい曲調なんだけど、時々たまらなく寂しく感じる音がある」そうです。
「彼らの音楽には、一生懸命努力してきた時代、不遇の時代が感じられる時がある」
そして、「努力する人は心から応援したい」とも、おっしゃっていました。

絵や音楽って面白いですよね。
見る人にとっての、抱えてるものや背負ってきたもの、一番大切にしているもの
愛しいものや悲しいと感じるもの、考え方や生き方が、
目の前にある絵や音楽に投影される時があるんだもの。
まるで、ある一人間の姿や心、今までの歴史の映し鏡のように。
だから、同じものを観たり、聴いたりしても、感じる人間によって、目の前の芸術が
語りかけてくるものが違ってくる。
私の隣にいる人は「明るい絵」だと言い、私には「寂しく悲しく感じる色だ」とかね。

私は「絵を好きになるのは、人を好きになるのと似てる」と思ってます。
絵や美術の知識がないせいもあるけれど、世間的に評価されていても
何も感じない絵も沢山あります。
(もちろん往々にしてその絵画のバックグラウンドを知らないから
という理由がほとんどですが)
恐らくその絵が云わんとしていることは、私にとってさして重要じゃないんでしょうね。

ところが、目の前の芸術が強烈にメッセージを伝えてくる時があります。
絵だけでなく、文章や、言葉や、写真や音楽、ヒトの心が表現されたものなら何でも。
時代や性別、境遇が違っていても、何か一つの点が自分のどこかの点と交わっていて
その接点の部分から、ドクドクと脈のように、流れ込んでくるわけです。

芸術は人によってその定義は違ってくるもので、
「癒し」「快楽」「憧れ」「恍惚」「虚栄」「共有」など等・・・。
私にとっては何でしょうか。恐らく「教義」「意義」的な要素も含んでるような気がします。
私にとって「こうありたい」という何かを持っている人間の作り出した芸術に
感動することが多いようです。
そもそも、自分の心が疼き出して表に噴出すべく、
無から自分の心の分身を形にして作り出す。その術を日々の鍛錬の中で培う努力。
これがあるだけでも十分尊敬せずにはいられないのですが
時代や境遇によっては全く評価されない、それどころか中傷すら受ける場合がある中で
自分の魂を表現しつづけるって、本当に強靭な精神と信念、
自分を信じ抜ける能力・技術がなければ成し得ないことだと思うんですよね。
やっぱりこういう部分に人は感動するんじゃないかしら。

・・・おっとととと、ちょっと堅くなってきましたが、そういうものを作り出す人が
もっと大切にしている部分があって、多分それは「芸術を楽しんでいる」ということ。
一番は、これですかね。作り出す人も見る人も、楽しむことが大切。
ホイジンガのホモ・ルーデンス「遊ぶ人」の定義にも感動しましたが
生活をより良くする「遊び」や「楽しみ」が形になったのが「芸術」と言っても
いいかもしれません。
何十世紀も時代を経てまでも、時間も空間も文化も宗教を超えても
人から守られ、引き継がれ、心を癒して、感動させるものが
「芸術」以上にあるでしょうか。

最近、親友のあやちゃんと話していたこと。
あやちゃんの恩師の言葉がそれはそれは素敵で。
「本当に心から出たものは、必ず人の心に届く」
「心がなければ無味だけれど、技術がなければ無力だ」
あやちゃんが恩師からもらった言葉だけれど、
この言葉は、私も一生心に留めておきたいですね。

たくさんの素晴らしい人とお付き合いが出来れば、心が養われるように
(素敵な殿方とのお付き合いも含めて(笑))
たくさんの素晴らしい芸術とも対話しようと努力していれば
これまた自分の心と、美しいものを見る目が養われると思ってます。


しっかし、なげー。




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by dolcissimokurobe | 2007-09-05 14:31 | Il cuore
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